長い1日が終わろうとしていた。時計は21時を指していた。聞いたところによると、手術に8時間、調整に12時間、私が目覚めるまでさらに12時間かかり、初期フォーマットに5時間かかったそうで、結局のところ私は科学局には2泊することになった。もっとも、これはかなり早い方なのだそうだ。科学局日本支部でのセントラルチーム級サイボーグ手術は初めてにもかかわらず、だ。
スタッフに今夜の部屋に案内してもらった。技官の言ったとおり、疑似界でのようなひどい扱いはされなかったが、制御リングは取り外してもらえなかった。きっとセントラルチームに正式配属されるまで取ってはもらえないだろう。疑似界でかいま見たサイボーグ兵としての自分の実力に当の本人ですら恐れおののくくらいなのだから。
部屋の前で、彼は私にたずねた。
「当面のエネルギーは補給済みだから空腹感を感じることはないと思うけど、何か食べたい物があったらもってくるよ」
彼に言われて初めて自分がまる2日なにも口にしていなかったことに気が付いた。しかし、これから栄養を要求するのは脳だけで、身体は電気的エネルギーを必要とすることになるのだろう。もう、毎日のように食事をする必要はない。
「私、普通の食事ができるんですか?」
「本当は君の生体部分を維持するだけだから栄養剤でもぶちこんでおけばいいけど、一応以前と変わらない食事はできるよ。ただ、味覚は残念ながら感じることはできないし、消化装置の処理能力上そう多くは食べられないけど」
彼の気配りはうれしかったが、今はなにも食べたくなかった。
「ありがとうございます。でも、今は食べる気分になれなくて」
「無理しなくてもいいよ。朝にまた迎えにくるけど、それまでに何かあったらコールボタンを押すといい」
「どうせ、一晩中監視されるんでしょ」
「まあね。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
私はそっとドアをしめた。ふと壁に大きな鏡がかかっているのに気づき、衣服を脱いで裸になって全身をうつして見た。裸の身体を見ても、腕に製造ナンバーの刻印がある以外はほとんど以前の生身の身体と見かけ上は変わらない。おそらく、家族でも刻印に気がつかなければ、私がサイボーグだとは気がつかないだろう。それが救いだった。
「どうだっ、私は無敵のスーパーウーマン原田さまだぞ!」
にっと笑ってガッツポーズをしても、何だかむなしいだけだった。人間が作り出せ得る最強の力を手に入れたものの、その代償ははるかに大きかった。
ふと外の空気を吸いたくなって窓を開けた。手術後初めて外の空気にふれたわけだが、私の身体はもう春の夜風を感じることはなかった。私は自分ひとり世界から切り離されたような孤独感を感じていた。
(脳だけにされるなら、いっそ撃たれた時にそのまま死なせて欲しかったな)
科学局のすぐ外は桜並木になっていて、桜の花びらが風に舞っていた。もうすぐ桜の季節も終わりに近づいてた。桜の間から街の明かりが見える。暗くてあまり周囲は見えないけれど、視覚モードを暗視野モードに切り替えればおそらく暗闇でも物がみえるだろう。
しかし、この身体はコンクリートジャングル東京に残されたわずかな自然を感じとることは出来ない。風は単なる空気の流れ、香りは空気に漂う化学物質と、ただ現象としかとらえられない。人間の姿をしているのに、人間だと思う心も感情もあるのに、私はもう有機体の身体を持つ生物ではない。同じ風景をホテルから見ていた3日前のことが遠い昔の出来事のようだ。あの少し花冷えのする夜、学会参加に期待に胸を膨らませていたあのときの自分はもうどこにもいない…
(こんな身体になって、これからの生活どうすればいいんだろう。それにあたしの未来もどうなっちゃうんだろ…)
私は不安な気持ちでそっと窓を閉めた。機械の中に入った脳は夢を見ることができるのだろうか。
翌朝、目が覚めたのは太陽もだいぶ昇ったころだった。相変わらずここは科学局の中だし、私はやっぱり生身ではなかった。すべては夢で、機械体なんて嘘だったらいいのにと思っていたのだが、これは紛れもない現実でそれ以上でもそれ以下でもないのだ。
「おはよう、昨夜はよく寝られたかい?」
昨夜私をこの部屋へ連れてきてくれたスタッフがやってきた。
「おはようございます。おかげさまで、なんとかゆっくりできました」
「それはすごいな、原田さんは鋼の精神の持ち主なんだねえ」
「鋼なんて、そんなことないですよ。これでもまだショックを引きずっているんですから」
私は少しおどけた感じでそう答えた。そうでもしないと、この不安に押しつぶされそうな気がしたのだ。
「悪い悪い。でも思ったより元気そうで良かった。今になって言うのもなんだけど、セントラルチームに限らず、サイボーグ手術の直後は何かと精神が不安定になるから心配していたんだ。それに昨日の初期フォーマットではちょっとトラブルがあったって聞いていたからね」
たしかに、疑似界での私は残酷な兵士でしかなかった。そして、あの時死にたいと思ったのも本当だった。それが眠りを妨げなかったのはきっとそうするようにプログラムされていたからに違いない、そう思った。
「ご心配には及びません、もう大丈夫です」
「それならいいけど。手術後1週間は危険が多いから、異常があったらすぐに言ってくれ。自己修復システムはまだ入れていないから、生身の時のように放っておいて治るものじゃないんだ」
「今は別に異常はないですけど。機械の身体なのに、どこか痛くなるんですか」
「知っていると思うけど、生体に人工体をつなぐと拒絶反応が起こる。度合いは人それぞれだけど、たいがい覚醒後1日以内になんらかの症状がでるはずなんだ。君の場合はサイボーグ体への脳移植だから、生体と機械体との拒絶はほとんど心配ないが、やはり脳への影響の可能性は否定出来ない」
脳への影響か。サイボーグ体に脳や神経がつながれたことよりも、疑似界での体験の方がよっぽど精神に影響を与えているのにと、そう思った。
「じゃ、電脳室へ行くよ。昨日の技官が待っているからね」
昨日に比べると、身体のぎこちなさがだいぶ少なくなっていた。本人がどう思おうと、脳は脳で確実にサイボーグ体に順応しているのだ。
廊下ですれ違うたびに職員たちに振り向かれるのには当惑した。日本初のセントラルチームクラスサイボーグ手術がここで行われたことは周知の事実で、その被験者である私が皆の興味の的となるのは当然だと分かってはいるけれど、まるで市中引き回しのさらし者にされたような気分だった。
「小林先生、一昨日手術したってこの彼女でしょ」
50代頃の看護婦が話しかけてきた。彼はちょっとうんざりしたような顔をして言った。
「そうだよ。情報が早いね」
「そりゃ、国連軍の報道規制が敷かれてなかったら、大ニュースになるくらいの手術ですもの。ここで知らない職員なんていませんことよ」
彼女は私をじろじろ見るのでこっちが恥ずかしくなってしまった。
「おい、彼女はまだ身体も精神も不安定なんだから、あまり構わないでくれよ」
「先生、これ良くできているわ。どうみたって人間そのものね」
小林氏はむっとして言った。
「彼女は『人間』だよ。君も科学局の人間なら、不注意な言動は差し控えてくれ」
彼は私の手を引くと、足早にその場を離れた。
「さっきのナースは別に悪気があった訳じゃない。気に障ったかもしれないけど、許して欲しい」
小林氏は歩きながら私にわびた。
「別に、気にしていませんから…」
この程度のことを気にしていてはきりがない。私が気にするのはこの先のこと、いずれ配属になるというセントラルチームでの生活そのものだった。
「おはよう、調子はいかが?」
部屋に入ると、中山技官は声だけかけてこちらの方も向かずに装置の調整に余念がなかった。なにしろ昨日私がシステムダウンを起こしてしまったのだから無理もない。聞けば、ほぼ徹夜状態でシステムの復旧にあたっていたとのことだった。
「おはようございます。あの、また今日も疑似界に入るんですか?」
「露骨に嫌な顔をするんだな。もちろん続きはあるけど昨日の今日だからね、戦闘機能設定は明日からやろう。今日は身体の諸機能についての説明をしようと思う。ちょっとそこに座ってくれるかい?」
少なくとも今日1日は戦わなくても済む、そう思うとほっとした。
私は言われたとおり大型ディスプレイの前に座った。技官は昨日みた私の身体の図解を映し出した。今度は逃げてはいけない、私は自分に言い聞かせた。これから一生この身体とつき合っていくのだから、最低限のことは知っておかなければならない。そう冷静に現実を捉えることが出来るようになったのだ。
「君の身体のメンテナンスは我々セントラルチームの技術部と科学局本部の開発本部で行うから特に日常注意することはないけれど、いちおうサイボーグ体の基本システムは理解して欲しい。日常メンテと現場での応急処置は君にまかせるしかないからね」
実験動物の機械体は大学でよく見てきたし、私も何匹か世話をしているけれど、人間のなんて医学部で医療用のものを見学しただけだった。目の前にある配置図はどちらかといえば、ロボット研の研究用アンドロイドに近くて、これを自分自身の身体だと認識するのは正直辛い。
「そういえば原田さんって生体工の学生さんなんだって?城東の」
「そうです、一応」
「城東はなかなかおもしろい研究をやっているよね。指導教官は?」
「横畑さんですけど」
「横畑って、5年前まで人工体パーツメーカーの主任研究員していた人か。じゃサイボーグ体についての基本的な知識はあるってことだね」
「まさか自分がなるとは夢にも思いませんでした。しかも、こんな身体丸ごと」
たしかに大学で少しは学んでいるけれども、軍事用途となると話しは別だ。
「それじゃ、いきなり機能説明に入っても大丈夫か」
技官はモニターの一部を拡大して見せた。
「まずは肝心の動力源だけど、身体には活動用バッテリーが内蔵してある。日常生活程度のエネルギー消費なら1回の充電で1カ月はもつけれど、充電に一般人の電脳用プラグは使えないから気を付けてくれ。戦闘時は戦い方にもよるけどフルパワー持続は48時間が限度だ。エネルギーが切れると中枢神経の維持装置が止まる、これがどういう意味だかわかるかい? 」
「死ぬってこと?」
「そう。生身の身体でも食べなきゃ餓死する、それと同じだな」
バッテリーだの、充電だの、私は電気製品かよ〜と溜息をついてしまった。細胞培養技術を利用したオリジナルと変わらない人工器官だって医療ではかなり使われているのに、私の身体はいうなればアンドロイドもどきだ。腹部の部分には、あるはずの消化器官や生殖器の代わりにサイボーグ体の制御装置本体と光子系兵器の発生装置が入っている。普通の食事も出来るだけに消化分解装置はあるが、女性特有の器官は代理品すらなかった。しょせん軍用サイボーグには子どもを作る機能なんて必要ないのだから、仕方がないといえば仕方がない。
子宮や卵巣を失ったことに特別な感傷はなかった。それどころか肉体丸ごと失ってしまったのだから、それに比べれば些細なことだ。ただ、生殖器を失えば女性ホルモンも分泌されなくなるだろうし、そうなったら女らしい気持ちは無くなってしまうのだろうか。
いろいろ聞かされるうちに、だんだん気が滅入ってきてしまった。
「生身の身体は無くなってしまったけど、普通の人間では出来ない様々なことができる。今は制御されているから実感はわかないと思うけど」
怪我も病気もしていないのに機械の身体にされて、できることは普通の人間と同じだったら、まさに踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂というものだ。
「何ができるんですか? 昔のヒーロー物みたいなこととか?」
「当たらずとも遠からずってところだね。ちょっと聞くけど君は100m何秒で走れる?」
「私、走るの遅いんですよ。だいたい17秒ってところですか。」
「普通の人間だったら妥当な数字だな。今なら時速100kmは軽いよ」
「本当ですか!でも、そんなに早く走れなくてもいいです」
「いや、それでも最新の追尾式兵器を振り切るにはこれでも遅いくらいだ。設計上は数秒間なら時速500kmはだせる事にはなっている」
「500kmも!」
私は驚いて自分の脚を見つめた。これでは自動車どころじゃない、下手をするとリニア並だ!
技官は得意になって話を続けた。
「おおよそ生身の人間の能力の50倍はあるはずだ。ただ普通の人間ではサイボーグ体に神経が追いつかないし、精神にも過大な負担がかかる。それがこの手術の最大のリスクだけど、原田さんは今身体になにか負担を感じるかい?」
「いえ、別に。感覚がちょっと違う感じがするくらいで」
「君の神経細胞はサイボーグ体と仲良くできるからこそ出来る芸当なんだ。よかったな」
そのことがいいことなのか悪いことなのか、自分としては判断が出来かねなかった。技官の話では、過去には神経系統接続に失敗して脳死に至ったケースや、サイボーグ体との違和感に耐えられずスタッフを脅して自爆装置を作動させたケースなどがあったそうだ。
「中山さんはどうなんですか?」
「俺? 俺なんかがセントラルチームの身体に入ったら1日だってもちやしないよ。精神錯乱で痴呆化するのがオチさ。それどころか、俺は機械体の適応が平均より低いから、医療用だってうまく適応するか怪しいくらいだぜ。事故だけには会わないように気を付けなきゃな」
「私はもう3日目で、普通に身体動かしているんですけど」
「だからこそ、原田さんは選ばれたんじゃないか。セントラルチームクラスのサイボーグ体に適応する人間なんてめったにいない。ある意味君は特別な人なんだ」
望んでもいないものに選ばれても少しも嬉しくはない。選んで欲しいと思うものにことごとく振られてきた私にとっては皮肉な現実だ。
「それと、これは大事なことだからよく聞いて欲しい。ショックを受けるかもしれないけど…」
技官は腹部のある装置を指し示した。
「君の身体には機密保持のための自爆装置が組み込んである」
「じ、自爆?何よ、それ!」
私は彼の思わぬセリフに唖然とした。彼は言うのを渋っているようだったが、説明をし始めた。
「君の居場所はセントラルチーム本部基地のコンピューターが常時追跡をしていて、万が一君が反乱勢力に寝返ったり、他人が分解を試みたりしようとすればシステムの機密保持のため爆破することになっている」
「つまり、私の生死は国連軍が握っているということ?」
「サイボーグ体の所有権は君ではなく、国連軍にあるからな」
これには本当にショックを受けた。どこの世界に身体に爆弾を埋め込まれていつ死ぬか分からない状態の人間がいるだろう。
「ひどい。そこまでしなくたって…」
「それだけ、セントラルチームの機密保持は重要だということさ」
「私が他人にこのことをばらすとでも思っているんですか!」
「別に君に限ったことじゃない。セントラルチームクラスのサイボーグ手術を受けた人間はみんなそうすることになっているだけだよ」
「ひと事だと思って、よくそんなこと出来ますよね」
中山技官はすっと立って、私の肩に両手を置いた。
「俺が楽しんでこんなことをやっているなんて思わないで欲しい。俺だけじゃない、君の身体の設計者のファン博士だってこの制度には心を痛めている。俺達は一介の技術者に過ぎないんだ」
「それはわかります。でも、そんなこといわれたって私…」
私は何も言うことが出来なかった。私とて技術者の卵のはしくれ、彼の気持ちも分からないわけでもないのだから。
5日の間、私は徹底的に戦闘プログラムをたたき込まれた。技官はまたシステムダウンされては困ると私の自我を抑制したので、疑似界の中で私はなんの疑問も持たずに戦いに明け暮れていた。そこではやはり私は兵器扱いで、そんな待遇でも文句一つ言うことなく命令されるがままに遂行していく。疑似界から帰還して自我が戻る度、私は技官に泣きついた。次々と戦闘テクニックを駆使する自分への恐れと焼き付いて離れない凄惨な戦場の光景、全てが私にとって耐え難いものだった。そしてそれはみんな忘れてしまいたいのに、忘れることを許されない。
しかし慣れとは恐ろしいもので、私の意識はしだいに戦闘システムに同調していった。疑似界の中に限れば、私は命令であればためらいもなく破壊工作が出来るようになっていた。平和のぬるま湯にどっぷり漬かっていた気弱な女はこうして非情の戦士へと変えられてしまったのだ。
6日目、ようやく私は自宅に戻ることを許された。ただ、これで縁が切れたわけではなく、わが身が機械体であることはどうしようもない事実でこれから一生ついてまわる。今回も単に初期調整が終わっただけで、後日私は正式にセントラルチームに入ることになるのだ。
帰り際、中山技官が言った。
「君はもう普通の人間じゃないんだから、一般市民生活は十分注意してくれ。身分がばれてしまうようなことは極力さけるように」
「わかっています。私だって変な目で見られるの、いやですから。」
そう、生身の部分が脳だけだなんてそんなこと知られては、だれも私を人間とは見てくれないだろう。主治医が私に1つの封筒を手渡した。開けてみると、私が参加するはずだった研究会の要項や資料が入っていた。
「研究会参加資格をおとりに使ったことは申し訳ない。ただ、大学に戻ったらいろいろ聞かれるだろう。それはささやかな私からのプレゼントだ。」
学会に行ったという証拠をもらったのでひとまず安心だ。首に付けられたままの制御リングが気になって技官に尋ねた。
「これ、とってもらえないんですか?」
「君はまだその身体を完全にはコントロール出来てはいない。地上で暴走されては困るからね。嫌ならあと2週間程ここにいてもらうことになるけど、いいかい?」
「これ以上の缶詰生活は結構です。家に帰れるならこれくらい我慢します」
「そう言うと思ったよ。まあ、機能は普通の人間並に制御されているから誤って他人を傷つけることはないだろう。それから、配属は1週間後を予定しているけど、そのときまた連絡するよ」
出口のドアを開けると、まぶしい光が目にとびこんできた。外界にでるのは久しぶりだった。街は何も変わっていないのに、私はずいぶんと変わってしまった。
門に向かう途中に中庭があった。1週間、前英次に撃たれた場所だった。
「こんな近くだったんだ」
私は自分が座っていたベンチを見つめた。ほんの1週間あまり前、普通の人間だった自分がそこにいた。あのときは自分がこんなことになるなんて思いもしなかった。大量に流れた血は大地が全て吸い、残っている跡といえば血液に含まれていた毒の影響で部分的に植物が枯れているくらいだった。今の身体にはもう1滴の血も流れていない。わずかに残された生体部分に流れているのは人工的に合成された血液だ。
(英次や渡部先生はどうしているんだろう。私を殺すのは仕事だと言っていたけれど、きっとあまりいい思いはしてないだろうなあ。私だって義務だと言われても戦争で人殺すのは気が重いし。今頃なにしているんだろう)
このサイボーグ改造の件については、私は誰をうらんだらいいのかわからなかった。私を死の淵に追いやった英次なのか、それとも肉体という魂の器を奪い去った科学局なのか、そもそもこの理不尽な命令を下した国連軍なのか。おそらく、誰という明確な責任の所在はどこにもない。国連という巨大な人類の意志が私を戦いの世界に引きずり込んだのだ。法に訴えるといっても、日本の司法が国連を裁けるとはとうてい思えないし、第一引き受けてくれる弁護士だっていないだろう。それに仮に裁判で勝ったとしても、身体は元には戻らないばかりか、かえって自分が戦闘兵器の身体を持っているということを公表することになるだけで、結局私にはなんのメリットはない。おとなしく運命に従うか、逃げ回ってエネルギー切れで死ぬかのどちらかしか選択はなかった。
一人暮らしのアパートは相変わらず散らかったままだった。サイボーグになったと知った時は、大学どころかアパートにすら戻れないと思っていただけに、こうして今ここに立っていることが本当に嬉しかった。そのせいか、留守にしていたのはほんの1週間程度なのに、長いこと帰っていなかったような気がした。
ふと見ると、窓辺に置いた鉢植えが水不足でしおれかかっていた。無理もない、こんなに長く留守にするなんて予定外の事だったのだから。水差しに水を入れる為に洗面台に向かった。給水ボタンを押そうと手を伸ばしたとき、ふと何本か抜けていた髪の毛が目に入った。
「あ……」
普段ならそんなものは気にしないが、今は違う。そんなものでも私が生身の体を持っていたという残り香なのであり、私の気持ちを少なからず刺激した。
水差しに水を入れ、鉢植えに水をかけてやる。乾燥して白っぽくなっていた土がじゅっとかすかな音をたてて水が吸い込まれていった。
「これから喉が乾くって感じることはあるのかな」
身体のほとんどが機械体になっても、有機体部分が残っている以上は水を必要とする。しかし体が水を要求する頻度は激減するだろう。全く水を飲まなくても1週間は過ごせるのだから。
机の上にある情報端末のスイッチを入れると、3通のメール着信履歴があらわれた。研究室の先生と先輩、そして母親。大学からはともかく、母から来ているとは意外だった。母はコンピュータが苦手で、自分でメールを出さずたいがい代筆をしていた。いつのまにコンピュータを使えるようになったのだろう。しばらく実家に帰っていない間に、母も何かとチャレンジしているようだった。
<晶子へ。お元気ですか。遅ればせながらお母さんもお父さんに教わってメールを出せるようになりました。こっちは特に変わりはありません。随分忙しいようですね、体を壊さないように気をつけて下さい。母より>
「お母さんったら、もう」
日付は3日前、この時点で私はもう母が知っている私ではなかった。疑似界での目をそらしたくなるような体験が頭にふっと浮かんだ。
「体壊さないようにって言ったって、その体はもう無いのに…」
私の両親は、この高度情報社会の中でも電脳を批判するほどの今では数少ない自然派だった。私がずっと電脳を入れなかったのはその影響もある。大学で生体工学を専攻すると話したときはあまりいい顔はしてもらえなかった。基本的に神の与えた生き物の身体を人間がいじることは神の領域を侵すものだというのが両親の持論だった(ただそれは宗教的なものではなく、観念的視点からであるが)。それなのに、娘が身体の90%以上を機械に変え、しかもそれが軍事用途のものだなんて知ったら──
気を取り直し、とりあえず私は母親に返事のメールを書いた。
<お母さんへ。 初メールおめでとう!そしてしばらく連絡入れなくてごめんなさい。この間研究会で初めて科学局に行きました。昔お父さんに連れていってもらった先端研もすごかったけど、さすが国連の機関って感じでびっくりです。そうそう、思うことあって私も電脳を入れました。お母さん、機械を埋めるなんてって怒らないでくださいね。夏頃帰るのでそのときにでもIDを教えようと思います。 晶子>
本当は、機械の中に私が埋められているような物なのだが、まずは電脳で反応を見ることにした。電脳なら社会に広く普及しているし、親もいい顔をしないにせよがたがた言うことはないだろう。
しかし、秘密というものはばれるのが世の常である。いずれ家族にも本当の私の姿を知られてしまう日がくるかもしれないと思うと気持ちが暗くなった。そしてその時、私はまだ「私」でいられるだろうか…
翌朝、電話のけたたましい音で起こされた。驚いて飛び起きたのはいいが、酷いめまいと頭痛に襲われ、半ば手探り状態で電話の受信ボタンを押した。
しばらくは、朝起きたとき脳の生体リズムと身体のシステムの同調に時間がかかるので、すぐ活動したい時は、あらかじめ活動開始時間をセッティングしておかなければならない。そのことは技官に言われていたのに、自分の部屋に帰ってきた安心感からかすっかり忘れていたのだ。
「はい…」
「あっ、原田っちゃん?オレや、争田。おはようさん」
電話口から大きな元気のいい関西弁が聞こえてきた。争田さんは私が所属している研究室の院生である。
「争田さんですかあ、おはようございます」
「なんや、まだ寝とったんかいな。もう9時やで」
あらためて時計をみると、確かに9時を過ぎていた。この数日、時間的な感覚が全くなく、今が朝だということを認識するにも数秒を要した。
正直に理由を言うわけにもいかず、言い訳がましく昨夜は遅に帰ってきたから寝不足だということにし、電話の主に用件を聞いた。
「いやな、しばらく連絡とれへんかったからちょっと電話してみたんや。原田っちゃん、今日がっこくるやろー?いや、きてもらわんと困るわ」
「え?」
「忘れてしもうたんか?学会の報告してくれっていうたやないか」
争田さんの声を聞いて、私はもう一つの自分の立場を思い出した。身体を変えられたといっても、「原田晶子」という人間の存在が抹消された訳ではない。今まで通り学校に行っても構わないことにはなっていた。
一般人に生身とセントラルチーム級サイボーグ体との見分けはそう簡単には出来ないとは言われても、もし自分が普通の人間ではないことがばれてしまったら、と思うと心配でたまらなかった。
「争田さん、あの、その報告ですけど…」
「じゃ、待っているさかい、絶対きてな」
心の整理がつくまでしばらく登校は待って欲しい、と言いたかったのだが、彼は用件だけ言うとすぐに電話を切ってしまった。私はモニターの残像をぼおっと眺めながら考え込んだ。
(とりあえず大学には行こう。後のことはセントラルチームに正式配属になった時に考えればいいや…)
「原田っちゃん、お久しゅう!学会終わったのになかなか帰ってくれへんから、もう待ちくたびれたで。さあ、入った入った」
院生室のドアをあけると、争田さんはにこにこしながら私の背中を部屋の中へぐいぐい押した。早く学会の話を聞きたくて仕方がないのだ。
「東京見物でもしていたん?」
「すいません、東京でちょっと具合悪くしちゃって、休んでいたんです」
本当の訳を言うことが出来ない以上、適当ないいわけでごまかすしかなかった。もっとも、まだ新しい身体に慣れていない今は、具合が悪いというのもまんざらウソではないのだが。
「そら心配やな。呼び出したりして悪いことしたわ」
「もう大丈夫ですから。これ、研究室のみんなにおみやげ。それと、これが学会の要項です。私もうコピーしたから争田さんにあげます」
私は彼に1枚のディスクを手渡した。
「おおきに。で、どないだった?学会は」
「すごいです。自分の研究が幼稚に見えます。やっぱり最終的には人間の身体への応用に行き着きますね、うちのマウスや犬どころじゃないですよ」
「人間かあ、俺もそっちに手ェだしたいなぁ。なあ原田ちゃん、よかったら実験台にならへん?」
「思いっきり遠慮します。傷をつけたらお嫁に行けなくなっちゃう」
冗談に冗談で返したはずなのに、彼は急に真面目な顔をして言った。
「そしたら、オレがもろうてやるさかい」
「え?」
私は思いがけない争田さんのセリフに目をぱちくりさせた。
「オレじゃ不満か?」
「不満なんてそんな。だって…」
すると、争田さんは派手に笑いだした。
「冗談だがな。医者でもないのに、人間の手術なんてできへん。本気にした?」
「争田さんの冗談は本当にやりそうだから恐いんですよ、もう」
「それにしてもやっぱ科学局ええなあ、ドクター終わったら科学局に採用されてみたいわ」
私は少しだけ心苦しい気持ちになった。あんなに羨ましがられたのに学会なんて参加しなかったのも同然だし、争田さんがあこがれる科学局の最先端技術が私の身体にあるということも隠さなければならない。実験台も何も、私はとっくに改造されている、しかも超軍事機密の身体だ、そう話してしまったら争田さんはどんな反応を示すだろう。
(どうせ「原田っちゃんすごいで、ちょと見せてくれへん?」って大騒ぎになるのがオチかもしれないな。そうしたらやっぱり機密保持とかで自爆させられてしまうのかな…)
争田さんは急に私をじっと見て言った。
「それ、何首に付けているんや?アクセサリーにしてはごっついやんか」
「え、いえ、なんでもないですよお。」
何て目ざといのだろう、私はあわてて首を隠した。制御リングなんて付けているのを知られたら私が機械の身体を持っていることがばれてしまう。
「隠さんでもええやないか。ははーん、もしかして原田っちゃん!」
「な、何ですか」
「どうも帰りが遅いと思うてたんや。電脳いれたんやろ、ちょっと見せてぇな」
争田さんはすっと私の後ろにまわった。私は半分無意識にこれ以上背中を取られまいと壁に背を向けた。疑似界での戦闘訓練のおかげで、敵にバックを取られるのは危険だというのが体に染みついている。それの後遺症かもしれないが。
「そんな露骨に嫌がらんでもええがな」
「いえ、そうじゃなくて、これは…」
電脳が入っているのは確かだが、私のは一般仕様とは訳が違う。フリーパスでどこのネットにも潜り込める特別仕様なのだ。あまりまじまじと見られるのは嫌だった。
「ちょっと、やめてくさだいよ」
争田さんとばたばたやっているところに、同じ研究室の院生・西川さんがやってきた。
「騒々しいな、何してるんですか?2人して。まさか争田さん、真っ昼間から原田さんのこと襲っているんじゃないでしょうね。セクハラで訴えられますよ」
「何アホなこと言うてんねん、西川。オレは割とじぇんとるまんなんやで」
「何がジェントルマンですか。この間のコンパで、1年の女の子に酔いの勢いでからんで殴られたのはどこの誰さんでしたかね」
「それはもう言わん話やないか。あのな、原田っちゃんが電脳入れたゆうから見せてもらいたいってお願いしていただけや」
「へえ、でも原田さんて電脳嫌いじゃなかったっけ?」
西川さんはするどい所をついてきた。確かに、この研究室で電脳化していないのは私だけだったし、しかもつい最近学内の電脳申し込みを断ったばかりだった。それを知っている西川さんがいぶかるのも無理はなかった。
「それはそのー、いろいろと事情があって…」
しどろもどろになっている間に、2人はすっと私の後ろにまわって、さっと束ねていた髪を上にあげた。
「やっぱりそうや。さすがの自然派原田っちゃんもネットワークの魔力には勝てへんかったな」
「あれ、これオレらの電脳とちょっと違うんじゃないですか?接続口だってちょっと多いし、形状だって違うし」
「そういわれればそうやな」
私は慌てて2人から離れて言った。
「もういいでしょう、これでこの話はおしまい」
「照れないでもいいがな」
「十分恥ずかしいです。見せ物じゃないんですから」
「でもやっぱり変ですよ、原田さんの電脳端末。市販品とは少し違うし」
「原田っちゃん、これどこで手術してもろうたんや?」
「え? あの、これは、実は…」
「原田さんって、科学局でやっていた学会に行っていたんだよね。それじゃこれはもしかして…」
「科学局仕様か? それ」
「ええ、まあ、そんな所ですかねえ」
「すごいで原田っちゃん、科学局で電脳化なんてそんなヤツそうそうおるもんやないで。もう、この幸せもんが!」
電脳だけならどんなに良かったか。幸せどころか、不幸のどん底に突き落とされたのに、と愚痴の一つでも言いたい気分だった。しかし、二人は電脳に気づきはしても、私の身体の異変には気づいていない。これなら私から話さない限り、あるいは不用意にサイボーグとしての能力を見せない限り、以前と同じような生活が送れるかも知れない、それが唯一の救いだった。