戦神の後継者
主な登場人物

第7章 レステリア

 私がレステリア・ウィンコンシンという女性に初めて会ったのは、シリウス反政府紛争から帰ってきて間もなくのことだった。
 彼女は私と同じセントラルチームに属するサイボーグなのだが、私と決定的に違うのは国連軍総司令官直属の特殊工作隊を率いる隊長であるということだった。通称「レステリア隊」はセントラルチームメンバーの中でも特に軍事的能力の優れたものが集められており、まさに「人類最強部隊」と言ってよかった。彼等にくらべれば、他部隊の将兵たちから最強と恐れられる基地のメンバーですらまだ青二才扱いに近い。レステリア隊は太陽系外の他の星系で発生する紛争やテロのうち、特に悪質なケースを扱う。
 レステリアはただの一指揮官ではない。彼女の戦術的才能は軍の幹部たちのなかでも群を抜き、サイボーグでなければ彼女自身がセントラルチーム司令官になってもおかしくはないと言われているくらいであった。もちろんそのことに関して、現司令官であるライズ司令官は特にコメントを発していない。彼とレステリアは軍務上での有能なパートナーであり、それ以上でもそれ以下でもない、その立場を崩すことはなかった。
 国連軍関係者は畏怖の念を込めて彼女のことを「軍神(アテナ)」と呼ぶ。彼女はその呼称にふさわしい能力の持ち主なのである。

 

 その日はルース大佐との訓練の後、一人でシミュレーション・ルームにいた時だった。目の前にいる人間は幻だと自分に言い聞かせても、この間の戦闘からまだ尾を引いている私は”しらふ”ではどうしても切る事が出来ずにいた。ダミーをかけられている自分はなんの躊躇もなく敵を殺している。シリウスでは酷い殺し方をしてしまった。それらが私の良心をちくちくと刺す。
 私はこの仮想フィールドでの標的が殺した相手の顔とだぶり、思うように身体を動かせないでいた。
 どうしてこんな人殺しの訓練なんかを… この思いはもう口にだすことはなかった。言っても無駄なことだということが嫌というほど思い知らされてきた。ただ、心の中ではいつも問答を繰り返していた。自分の満足する答えなんてない、そんなことは分かり切っているのに。
  突然、私はぞっとするような殺気と身の危険を感じた。
(後ろから何か来る?)
 とっさに1mほど横に跳ぶと、そのすぐわきを猛スピードで飛んでいく物体があった。それは小さなエネルギー弾で、壁に当たると吸収され消えてしまった。
「誰?」
 弾が飛んできた方向を振り向くと、入り口付近に見知らぬ女性が立っていた。基地の女性職員なら人数が少ないゆえに顔は覚えている。しかも、このシミュレーション・ルームのパスを持つ人間となれば非常に限られており、部外者が入ってくることは100%ないのだ。
「あなたがアイシャーね。」
 その女性はヨーロッパ白人系の端整な顔立ちをし、その声は驚くほど澄んだ声だった。その外観に反して、彼女を包む雰囲気には命令されたら拒否できないような強い威圧感があった。
「そうですけど…」
「私はレステリア、噂くらい聞いてないかしら」
 軍関係者の皆が『軍神アテナ』と仰ぐレステリアがどうしてこんな所にいるのだろう!2人きりの状況に、私は戸惑いを隠せなかった。
「お噂はかねがね、お初にお目にかかります」
「あら、初めてじゃなくてよ。現実世界で会うのはこれが初めてでしょうけど」
 彼女と前に会ったことがある?私は懸命に記憶の糸を手繰り寄せた。そして、ふと彼女の声に聞き覚えがあることに気づいた。疑似界で私を導いた女性の声に似ているような気がする。
「思い出した?電脳世界で私はあなたに会っているの。あの時は随分と手こずらせてもらったわね」
 私を疑似界での戦いに引きずり込んだ張本人が目の前にいる。しかも、あのレステリアだとは。それにしても彼女は一体何をしにやってきたのだろう。
 レステリアは無言のまますっとサーベルを出すと、続行中だった戦闘シミュレーションにそのまま参戦した。何度もためらっていた私にひきかえ、彼女は溜息がでそうなくらいあざやかにたち振る舞い、ほんの数分もしないうちに終了させてしまった。
「すごい…」
 個人レベルでは地球最強と言われるレステリアの戦い方を間近で見て、私はあっけにとられた。さすがアテナと称されるだけはある。レステリアはその後私の方に近づいてきて言った。
「あなた、ここに来てどのくらい?」
「2ヶ月です」
「それだけあれば戦力としては十分ね。その割にはずいぶんシミュレーション相手に手こずっているじゃない。チームメンバーを名乗る者ならこれくらいのレベルは遊びのはずよ」
「見ていらしたのですか」
「新人が来たって聞いたから様子を見に来たのよ。あなたがあまりにもこの場面をクリアしないものだから、さっき試させてもらったのだけど。たいした反射能力を持っているじゃない」
「そんなことないです」
 攻撃はともかく、逃げることだったら小さい頃から妙に自信はあった。走ることは苦手だけれども、危険が及ぶとなれば自分でも信じられないほどの行動が出来る。先程は単にもともと備わっている自己防衛の一種にすぎない。
「あなたの基本データ見せてもらったけど、精神安定度も戦闘能力度もたいしたものだわ。サイボーグ体だってあなたほど適応する人はそういないはずよ」
 自分の身体と潜在能力がこの仕事に合っている、そんなことはもう何度も技官から聞いている。しかし、自分の心は今一つ納得いかないのだった。
「私は気も小さいし、臆病だし、他の人の足ばかり引っ張っているみたいで。自分がセントラルチームメンバーだなんて申し訳ないって思います」
 仮に本当に間違いだとしても、実際自分がサイボーグ体にうまく適応していることは動かしようのない事実で、もう後戻りもできないし、元の普通の人間の生活だって出来ないことは分かっているつもりだった。自分が戦闘行為に向いているか向いていないかの話ではなくて、ただ戦闘行為をする自分が許せないだけなのだ。
「ちょっと前まで民間人だったものね、そう思うのは無理もないけど」
 私はレステリアに誘われるままシュミレーションルームを出て、コントロールルームへと入った。レステリアはモニターに私の訓練成績を呼び出すと、じっとモニターを見たまま言った。
「射撃命中率が70%、最低ね。これじゃベストレスチームの連中と同じくらいじゃない。セントラルチームメンバーなら機能的に9割台はだせるはずよ」
「すみません」
 自分としては最初と比べるとずいぶん戦えるようになっているとは思うのだが、なかなか求められるレベルに行かないのが現状だった。
「国連はあなたにその身体を単にプレゼントしたわけではなくてよ。その機能を十分に生かせることができるとみなされたからあなたに任せたの。それが出来ないのなら、たとえ適応率が100%の人間でも任せる訳にはいかない。セントラルチーム級サイボーグ体は空母1艦分に相当するほどの高価なものだから、無駄にはできないわ。適性がないと判断されたらどうなるか、あなたご存じ?」
 レステリアは表情を変えずに、私に問いかけた。戦う事が出来なくて、軍事用サイボーグ不適格だなんて言われたら?私の肉体はすでにこの世に存在していないのに、今の身体を取り上げられてしまったら、私は…
「私を脳だけにしちゃうんですか?そんな、それだったらまだ今の方がましです」
「でもね、今のあなたのそんな気持ちのままじゃコントロールされていればそれなりに戦えるでしょうけど、それじゃあなたはただのアンドロイドと同じだわ。それにどこでもダミー・システムが効くとは限らない。いくら頑丈なサイボーグ体でも殺し合いが嫌で戦わなければあなた、死ぬわよ」
 死ぬ… 私はシリウスの戦場を思い出した。目の前で多くの人間が殺されていった。良心がずたずたにされても戦わなければならないのなら、いっそやられて死んでしまった方がどんなに気が楽なことか。
「私がそれだけの人間だったっていうことですよね。仕方がないです」
「戦争嫌いにしては大した覚悟ね。命のやりとりをする世界だからそれくらい悟ってもらわないとーって褒めてあげてもいいけど、そうはいかないわ。その身体に見合った働きをしないうちはチームメンバーにはよほどのことが無い限り死ぬことは許されていないのよ。苦しいからといって勝手に死ぬのは虫のいい話だわ」
 サイボーグの身体になったことも、そのために戦わなければならないことも、私にとっては苦痛の塊だが、「生きる」ということも苦難の連続の日々だ。もし、改造されなくても、死にたいとおもうことはきっとあるだろう。だが、その逃げるための最後の手段である「死」ですら、私には許されてはいない。用済みになるまで、私は命令された「戦い」に出なければならない。そして、いずれは自分の判断で戦わなければならないのだ!
「本当に戦うことが嫌いなのなら、あなたは科学局の脳研送りになるわね。科学局で聞いたでしょ、 あなたを研究に使いたい人は大勢いるってこと」
 レステリアの言葉は私の心に鋭く突き刺さる。兵器として役に立たないのであれば、サイボーグ体からわずかに存在する生体が取り除かれ、機械生体融合の研究材料にされるだけ。申し訳程度の自我しか許されず、脳が負荷に耐えきれなくなるその日まで永遠に電脳世界に閉じ込められることになるのだろう。残酷ではあるが、悪意のない純粋な事実。こんな冷たい言い方の出来る人なんて初めてだった。
「純地球育ちの人間にはめずらしい機械体適応率98%の脳の持ち主なんですもの、まさにサイボーグ体に移植してくれと言わんばかりね。研究者が興味を持つのも当然かしら」
「やめてください、そんな風に言うのは!」
「私は事実を伝えているだけよ」
「事実だとしても、私は、人間として生きていたい。戦わなければ生きられないのなら戦うけれど、人間らしさを失ってまで戦いたくはないです」
「それが矛盾だということでも?戦争はそもそも非人間的行為なのだから、人間らしさを失うのはある意味当然のことじゃないかしら」
 私は言葉に詰まった。人間らしさを求めれば死につながり、生きるためには兵器と化するしかない究極の二択を迫られているのだから。
「戦争だけしていればいいのだから、むしろ楽な人生だと思わない? 誰も私たちを人間だと思っていないから、戦場で何人殺そうが関心を寄せることはないのよ。銃を使う人間が責められても銃が責められることはない、それと同じなの」
 私たちの存在は銃と同じ。訓練をするのはその性能を向上させるため。向上の見込みがなければ廃棄処分。それが今の自分の立場。十分理解しているつもりなのに、理解したくない気持ちを消したくない。誰が好き好んで銃になろうとするのだ、まともな神経の持ち主なら拒否するのが当たり前ではないか。
 レステリアは私の肩を両手で優しく掴み、そして真剣な眼差しで私の目をじっと見つめた。
「兵器になるのが苦しければ、戦場では理性から戦闘本能を解放しなさい。作戦行動の責任はすべてライズ司令に押し付けなさい。戦闘に関して人道的責任を負うことは一切やめなさい」
「レステリア隊長…」
「私たちは兵器と同じと言ったけれど一つだけ違うことがあるわ。それはね、量産が出来ない唯一のものということよ。セントラルチーム・メンバーは、身体が機械でも各人がオリジナルなのだから」
 レステリアはふっと笑うと私の肩をぽんと軽く叩いた。
「研究所送りだなんて話してごめんなさいね。私は、あなたに生きていて欲しいだけなの」
 レステリアはそれ以上何も言わずに、シミュレーション・ルームから出ていった。彼女がもともと現在ほどの好戦的な性格も軍事的才能も持っておらず、セントラルチーム・メンバーとして生きていくために敢えて自分を中身からすべて変えていく道を選んだということを知ったのは、ずっと先のことだった。


初陣(その3) 目次 戦場と友達と