戦神の後継者
主な登場人物

第2章 疑似界(その2)

 いつしか死体の荒野を抜け、廃墟となった街のなかに入り込んでいた。もしここも戦場ならある意味平原より危険だった。自分の身を隠すところがあるということは、相手も姿を隠すことができるということだからだ。私は周囲に気を払いながら歩いていった。戦いたくはないが、どうやらこの疑似界は戦場で私の命を狙う敵がいる。いくら本当の死ではないとはいえ、死ぬのはいやだ。

 急に何者かに腕を掴まれ、私は建物のなかに引きずり込まれた。
『貴様、戦闘時に何をしている。兵士の敵前逃亡は銃殺だ!』
 さきほどの冷徹な女性の声ではなかった。声の先にはカーキ色の戦闘服を来た、私よりもふた周りほど大きい男が立っていた。そしてその周りには20人ほどの兵士がライフルを片手にこちらをにらんでいた。
「ちょっと待ってよ、誰が兵士よ。私は関係ないわ」
『何を言っているんだ? 貴様は』
「私はあなたたちの兵隊になった覚えはないっていうのよ。」
 すると男はいきなり私を殴り飛ばした。私はバランスを失って、近くの壁に激しくぶつかった。こんな派手に殴られたのは初めてだった。
「いきなり何するのよ! 痛いじゃない」
『女だからといって例外は認めん。その格好、貴様は戦闘サイボーグ兵だろう!』
 反論しようにも、この姿では兵士と扱われても仕方がなかった。周囲で部下であろうガラの悪そうな男たちがにやにやと笑っている。
『よお、姉ちゃん、威勢がいいな』
『仕事終わったら俺らと遊ばねえか?、いいとこ知っているぜ』
 なんて下品な男たち!私は身震いしてしまった。
「わ、悪いけど、遠慮しとくわ」
 この場から立ち去ろうとすると、先ほど殴ってきた小隊長が目の前に立ちはだかった。
『例外は認めんと言っただろう。敵前逃亡罪で殺されたいか!』
 彼は熱線銃を突きつけてきた。全てを焼きつくす数万度の炎を浴びれば、さすがに機械の身体といえど灰しか残らないだろう。
  小隊長の形相は先ほど私に襲いかかった男に劣らないほど恐ろしかった。彼は本気だ、本当に私を脱走兵として処刑しかねない。私はいつのまにか否応なくこの戦争に参加せざるを得ない状況に追い込まれていたのだ。
  私は不本意ながらも彼の指揮下に入ることを承諾した。
「分かりました、命令に従います。何をすればいいのでしょうか」
 小隊長は地図を広げると、ある一点を指差した。
『まもなく敵本隊がここを通る。貴様はそれを1km先の街の入り口で阻止しろ』
「阻止しろといわれても、私にはなんの手持ちもないのですが」
 さきほどのライフルは捨ててしまったし、そもそも敵本隊にライフル一丁で立ち向かえるはずがない。戦えというなら少なくとも作戦指示は欲しい。しかし、小隊長は何の指示も武器も与えてはくれなかった。
『手を軽くにぎってごらんなさい』
 戸惑っていると、先ほどの声がまた聞こえた。
『あなたの身体自身に様々な武器が装備されているわ。まず手を握ってごらんなさい」
 半信半疑で右手を握りしめると、拳から1mほどの光の剣があらわれた。
「何これ。レーザー・ソード?」
 そばにあった車の残骸にあてると、ボディが溶けだして穴が開いた。初めて見る光子系の武器に、私は驚きを隠せなかった。
『身体が臨戦態勢に入っているときはさまざまな光子系兵器が使えるわ。それで戦いなさい』
「ソードなんて使ったこと…それに白兵戦なんて絶対無理です!」
『あなたは常人の数倍のスピードがあるのよ。下手な火器より有効なはず』
 遠くから爆音がする。小隊長が言っていた敵本隊が近づいてきたのだ。音からしてかなりの大部隊だ。
「あれを全部私1人でやるんですか?」
 いくらなんでも部隊のバックアップは必要だ。しかし小隊長の答えは私をさらに不安に陥れるものだった。
『貴様はセントラルチームメンバーなんだろう、それくらい朝飯前じゃないのか』
「できるわけがないじゃないですか、第一私は戦闘なんか初めてで…」
『何わからんことを言っている。冗談もいいかげんにしてくれ』
 冗談じゃないのに! そう言っても聞いてくれる相手ではなかった。その間に敵の大部隊はどんどん近づいてくる。逃げ出したくても背後には男たちの熱線銃が控えている。どちらにしろ、私に逃げ場はなかった。敵であろうとなかろうと、なんの恨みのない者を倒さなければならない。
(恐い、今度こそ死ぬかもしれない)
 私はこれがいったい何の戦争なのかさっぱり事情が分からないまま、生まれて初めて戦闘というものを前にしている。
『敵は殺せ、殺してしまえ!』
 あの重く低い声が頭の中に響く。私は懸命にその声を振り払おうとした。理由なき殺人は犯罪だ、この人間として当たり前の常識を維持したかった。
『殺せ!』
 声は執拗だった。無視しようとしても、直接頭のなかに聞こえてきては防ぐ手だてはない。そして、必死で抵抗し続けている私の心を残酷な意志が侵してゆく。心の隙間に入り込んで巧みに良心に絡みつき、少しずつ戦闘を是とする禁断の扉をこじあけていった。本能の奥深く封印されていた私の非情な闘争心が頭をもたげてくる。これが、国連軍が目をつけた好戦的なもう一人の私。
(私はもう、以前の原田晶子じゃない。戦闘用サイボーグに改造されたんだ。だったら割り切ってしまえ、殺せと命令されているのだからそれに従えばいい。すでに1人殺してしまったのだから、後は何人殺そうと同じことだ)
『おまえは戦士だ、敵は皆殺しにしてしまえ!』
 非情な声は私の自我の壁に穴をあけてしまった。もう、あの声に逆らえない。
「そう、それほどいうのならお望みどおり一人残らず殺してあげる!」
 私はソードをかまえた。最後まで残っていた良心の壁が破壊されてしまった今、心の中は殺戮心に満ちそれ以外には何もなかった。

 

 手始めに先頭の小隊の重戦機にとりついた。重戦機程度のスピードなら容易に追いつく事が出来る。そして、迷うことなく操縦席を探し当て、ハッチをこじ開けた。中にいるのは操縦者と砲手の2人だけだ。
『何者だ! 貴様』
 操縦担当兵が私の存在を気づくのと同時に、私の剣は一寸の狂いもなく正確に彼の心臓を貫いていた。神のごとく他人の生命を自由に弄ぶ力。今まで感じたことのない奇妙な快感が、身体の中を突き抜けた。
「悪く思わないでね。こんな戦争に参加したあなたが悪いのよ」
 不意をつかれて同僚を殺された砲手は、蛇ににらまれたカエルのように体をこわばらせた。私は彼に言った。
「あんたには選ばせてあげる。逃げる?それともあくまで私と戦う?」
『お、女に背中を向けられるか!』
 彼は腰に付けたピストルを取り出そうとしたが、それを待っているほど、私は気前は良くはなかった。
「永遠の眠りに…」
 操縦兵と同様に私は彼の胸を貫いた。彼は口から血の泡を吹き、体を激しく痙攣させた。数秒の断末魔の後、先に逝った同僚に覆いかぶさるように息絶えた。
 2つの死体を冷静に見おろす自分がいる、この状況に心の隅では違和感を覚えてはいた。こんなにあっさりと殺人を犯すなんて、一体私は何をやっているのだろう。しかしこれは前哨戦に過ぎない。あくまで標的は本隊だ。
 私は死体を操縦席から引きずりおろすと、砲身を部隊に向け発砲した。突然の重機の暴走に小隊は大混乱だ。弾薬が尽きるまで撃ち尽くした後、動力部を破壊して私は外にでた。
 兵士たちは土埃の中から私の姿を見つけると、いっせいに発砲してきた。しかし弾が届くまでのんびりしている私ではなかった。猛烈なスピードで弾丸の雨をくぐり抜け、射撃手の一人の目の前に現れた。ひるんだその一瞬、彼の胴体は2つにわかれもどることはなかった。哀れなその兵士は死までのわずかな時間を苦痛と恐怖で満たし、言葉にならない叫びをあげていた。もちろん、そのような状況にあったのは彼だけではない。
 彼らの為に祈る間もなく、私は次々と敵兵に襲いかかった。高速で動く私の姿を捕えることができないため、多くの兵士が瞬時にその命を奪われていく。哀れ斥候部隊はほどなく全滅した。
 加速をといた私は身体に付いた肉片をはじきとばし、側にころがっている敵兵の死体から血の付いたままのスカーフを取り、乱れた長い髪を結んだ。まもなく主力部隊が見えてきた。
「さて、お楽しみの本番はこれからね。どうしようかしら」
 私の心の中に殺戮への興奮がわき上がってくるのが感じられた。自分は相手よりも圧倒的な力を持っている、その優越感が良心の復活を許さなかった。

 斥候部隊の壊滅に気づいた本隊の足が止まった。残骸に隠れていた私は旗艦と思われる大型陸戦車に忍び込んだ。すぐに兵士たちに見つかったが、下っ端にかまっている暇はない。銃弾やレーザーの雨の中を高速で走り抜け、まっすぐ司令室をめざした。陸戦重機の内部構造を知っているはずはないのだが、私はなんの疑問も持たなかった。
 何かに操られるかように司令室の前まできた。警備兵が厳重に固めているエリアだった。大将を倒せば戦は終了、これは大昔からの戦争のお約束というものだ。
「ふうん、あそこね」
 私は音も立てずに、警備兵たちの背後に影のように回り込むと、先ほど殺した敵兵から奪ったナイフですっと喉笛をかき切って殺し、次に開閉システムを破壊した。司令室に侵入すると、先ほど警備兵から奪った銃を無差別に撃ちはなした。司令部の将官たちはとりたてて白兵戦に長けているわけではない。頭脳派の戦略家・戦術家たちがほとんどだ。いわば軍のエリートといったところだが、抵抗する間もなくその多くは銃弾に倒れた。
『た、助けて!殺さないで…』
 目の前に私と同じくらいの年代の女性将校いた。ここにいるくらいだから、たいした能力の持ち主なのだろう。以前の私だったら、そんな女性に会えば劣等感でたまらなくなるのだが、今の私には相手が天才だろうとなんだろうと関係がなかった。誰であろうと敵兵は皆殺し、それが私が果たすべき任務だ。
 彼女は両手を挙げて必死で助命を懇願したが、今の私は彼女を助けてやる思いやりなんてかけらも持ち合わせていない。私は彼女の目の前にレーザーソードをつきつけた。
「貴様も軍人のはしくれなら殺されても文句はないだろう、覚悟を決めろ」
 彼女の目からすっと一筋の涙が流れた。死神を前にしているようなものだから、恐怖で逃げることすらも出来ない。
『と、投降するわ。だから命だけは助けて!』
 彼女の涙に一瞬心が揺らいだ。白旗を上げる者まで殺さなくてもいいのではないか、私の押し込められた良心がささやいたのだが、その小さな炎は殺戮心の嵐にすぐ吹き飛ばされてしまった。
「ふん、腰抜けが」
 私は躊躇することなく、泣き叫ぶ彼女を頭からまっぷたつに切り殺した。鮮血が周囲に飛び散った。残った者は必死で逃げようとするが、ドアがロックされたままではどこにも逃げ場はない。完全に優位にたつ私は、この狭い空間のなかで殺戮を繰り返し、あたりはまさに血の海と化した。そう、なぶり殺しにされたのは私でなく彼らだったのだ。
 侵入後わずか10数分で司令部はたちまちその機能を停止した。自爆装置をセットし、脱出した直後に重戦機は大爆発を起こした。
 残った部隊は私にとっては烏合の集にすぎない。雲霞のごとく襲いかかる敵兵のなかを、私はソード1本で立ち向かった。生身の人間のからだはあまりにももろい。剣は休む間もなく敵兵を切り刻み、大地はその血を吸って赤く染まる。血の雨の中を私は進み続けた。加速状態の中、後ろから絶叫が連続した合成音となって聞こえる。まるで阿鼻叫喚の地獄絵さながらで、さしずめ私は地獄の鬼というところだった。

 

 ふと、目の前が開けた。戦いを挑んでくるのはもう誰もいなかった。戦闘は終わったのだ。周囲は重機の残骸と私が殺した死体で埋め尽くされていた。勝利の満足感に酔いしれているうちに見覚えのある風景だ、そう思った瞬間私は気づいた。無惨な姿の死体の群と大量の重機の破片、あの死体の荒野を作ったのは「声」が言った通りまぎれもない私だったのだ。
 厚い雲から光が差し込んでくるかのように、私の殺戮心で満たされていた心に隙間が空いた。緊張がほどけ、鋭利な牙のソードは消え、あの執拗な不気味な声もいつしか聞こえなくなっていた。
 なんて酷いことを…放心状態の私に再びあの女性の声が聞こえた。
『お疲れさま。所要時間1時間ってところかしら。初めてにしては上出来だわね。ただ逃がしてしまった者がいたのは失点だったし、それに無駄な動きが多いわ。それでは余分にエネルギーを消費してしまう。時間ももう少し短いといいわね』
 彼女は先ほどの戦闘について冷静に分析し、批評をした。まるで、模擬試験を受けたかのように個々の観点から評価された。私はたまらなくなって、どこから聞こえてくるかも分からない声に向けて叫んだ。
「お望み通り、私は戦ったわ。それでもういいでしょ、現実の世界に帰して!」
 私はこの戦場だった荒野を見渡した。もう死体にびくつくことはなかった。慣れと言えばそれまでだが、自分が作った死体の群だ、それを恐いなんて言えるはずがなかった。
 ほんのちょっとまで生きていた人たち、私はその命を一瞬にして奪ってしまった。投降してきた人まで私は無惨にも殺してしまった。生身の身体を切り裂く感触がまだ手に残っている。断末魔も耳にこびりついている。
(これが戦争なんだ。ちっとも格好良くなんか、ない…)
 架空の世界でのこととはいえ、自分がこんな残酷な大量殺人を平気でやったなんて信じたくなかった。精神になんらかの干渉があったにせよ、自分の殺意を抑えきれずにそれに飲み込まれて殺戮の限りをつくしたのは私、誰のせいにも出来ない。私は罪の意識でいっぱいになった。
 ふと、髪に手を当てると髪をしばっていたスカーフに気が付いた。それは自分が殺した兵士の持ち物だった。土と持ち主を含めた多くの人間の血を吸い込んで、白色だったスカーフは赤黒く変色していた。
 私は血染めのスカーフをぐっと握りしめた。殺した相手の持ち物を身につけることに、抵抗すら感じていなかったなんて。
(ここは疑似界なんだから、現実の世界じゃないんだから、実際に存在している人を殺したんじゃないんだから!)
 そう分かってはいても、感覚の認識は現実世界とほとんど変わりがないだけに、ゲームのように割り切ることは出来なかった。


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