戦神の後継者
主な登場人物

第2章 疑似界(その1)

 私は中山技官の後をついて行った。まだ足が地に着いていないような感じが残っている。電脳室は建物の地下にあり、見たことのないような大型コンピューター群が壁面をぎっしり埋め尽くしていた。私は自分の通う大学との規模の違いに圧倒されてしまった。
「初期フォーマットって、何をするんですか」
「今の君はいわばOSのみのコンピューターだからね。サイボーグ体を制御し、かつ戦闘行動の為の基本命令を電子脳と生体脳の一部に入力するんだ。少しきついところがあるかもしれないが、君なら丈夫。気楽にやろうな」
 中山氏は部屋のさらに奥にある扉を開き、私に入るよう手招きした。
 10帖ほどの狭い部屋の中に、透明な円筒形をしたカプセルが横たわっていた。大人一人が十分に横たわることができるくらいの大きさのもので、3分の1ほど半透明の白い液体が中に入っていた。彼は制御装置を作動させて、カプセルの上半分を開いた。その怪しげなカプセルの中に私を入れる気であることは明確だった。
「まさか、これって洗脳とかじゃ…」
「洗脳なんて、そんな不粋なことはしないよ。生体脳にはサイボーグ体を動かす命令系統が存在していないから、そのプログラムを補助脳にインストールするだけさ。人格は変わらないからご安心を」
 試しに手をカプセルの中に入れると、ぬるい粘度の高い液体が手にまとわりついた。液体から手を出しても、その液体はねっとりと手に残っている。
「この気持ち悪い液体のなかに入るんですか?」
「ああ。入ったら横になってくれ。これから伝導液を注入するから」
 技官は私の体のあちこちに様々なコードを取り付けながら言った。
「それじゃ息ができない」
「大丈夫、呼吸装置が液体中から酸素を取り込んでくれるから苦しくなることはないよ。それに大気圏外活動用の内蔵酸素もあるし、心配ご無用。なにしろ君はサイボーグなんだから」
 自分が納得していないのにサイボーグ扱いされるのは嫌だし、こんなしばらく取り替えてないようなプールの水のごとき液体の中に入るのも躊躇したが、ここでぐずっていても私に何の利益もない。覚悟を決めてカプセルの中に入り、横になった。液面はちょうど耳の下になり、まだ体全体が埋まることはなかった。
 技官がカプセルのハッチを閉じると同時に、残りの空間にさらに液体が流れ込んできた。体全体が粘液で覆われ、耳や鼻など体の孔から浸入すると、今まで感じたことのない異様な感覚に陥った。
  カプセル内の液体は電気信号を効率良く伝導すると聞いており、その信号が人工の皮膚に刺激を与えている結果の感覚だった。技官の言うとおり、確かに息は苦しくなかった。むしろ、適度な温度で快適なくらいだ。
  液体の比重をうまく調節してあるらしく、私は沈むことも浮かんでしまうこともなく、なんの足場もつかむ所もない無重力の中にいるかのような状態に置かれた。外の様子はこちらからは見えず、真っ暗な闇の中に閉じこめられた。
(ホルマリン浸けの標本になったみたい)
 性的快感に近い感覚が断続的に現れ、身体は麻痺したように動かず、何の抵抗もできない。
「これから君の意識は電脳の疑似界に入る。疑似界は初めて?」
 中山技官の声が頭の中に響いた。
「はい」
「夢の中のようなものだと思ってくれればいい。様々なイベントがあるが、君はただその流れにしたがっていれば大丈夫だ。じゃ、始めるよ」

 

 最初は身体の中を弱い電流が走っているような感じがした。身体に制御系のプログラムが入力されているのだ。頭の中は真っ白で目は何も見ていない。ドラッグでハイになったような状態がしばらく続いた。そのうち、目のくらむような光があらわれ、私はどこかへ連れて行かれるような感覚を覚えた。光が徐々に弱まり、何か景色のようなものが見えだした。
(これが電脳疑似界。ずいぶん現実感があるものなんだ)
 電脳ネットワークの中には、様々な体験が「疑似的に」できる場所がある。それが電脳疑似界だ。これを利用すれば、架空の街に架空の人物(もちろん人間以外の物にも)として暮らすことも可能である。電脳を通じてあらゆる情報が直接脳に入るのだから、感覚器は何も感知していなくても、実際に感じているのと同じ結果となる。視覚だけでなく、聴覚も臭覚も触感も現実と理論的には同じだ。
  エンターテイメントとしての疑似界は、非常に人気のある娯楽である。私も電脳化した友人からその面白さを熱く語られたものだった。もっとも、そのまま現実世界にもどろうとしない人たちが増加して社会問題にもなっているのだが。
 私の疑似界初体験の場所は楽園でもどこかの都市でもなく、何もない荒野だった。TVで見たどこかの植民惑星のようなところだった。
「ひどく殺風景なところねぇ。初めての電脳なのにこんな所なんて」
 だんだんと周囲がはっきりと見えてきた。とりあえず歩き出すと、何かに足を取られそうになった。ふと足下を見た瞬間、私は自分の目を疑った。

「ひ、人が、死んでる!」

 私の足元には、ばらばらになった無惨な死体があった。そして、周囲には同じような状態の死体が無数に横たわり、大地は人々の血を吸って赤黒く染まっていた。こんな大虐殺の現場は3Dムービーでも見たことがない。
  五体満足な遺体は1体もなく、胴体から半分に切り裂かれ内蔵が飛び出している者、頭蓋骨が割られ脳がのぞいている者、手足がない者、そして首を切り落とされた死体がどこまでも続く。
  目玉をかっと開き恨めしそうな表情の死体と目があい、私は脱兎のごとく逃げ出すことしかできなかった。
 何かにつまずきかけて身体を起こすと、それは原型をとどめていない兵器の残骸だった。その陰から土色をした人間の手がのぞいていた。
「なんなのよ、ここは! こういうのって私、だめ…」
 私は建物の残骸の陰に入った。たいがいの事には冷静でいられるつもりだが、人間の死体というヤツにはめっぽう弱く、スプラッタ映画やホラーハウスといった娯楽ですら苦手な私にとって、ここは私の恐怖心をあおるのに十分な所だった。
「疑似界っていったってひどい。趣味悪すぎ!」

『でも、あなたがやったのよ』

  どこからか急に女性の声が聞こえた。周りを見回しても誰もいなかった。
「誰だか知らないけど、何いっているの! 私は今ここに来たばかりなのに」
『あなたの手をごらんなさい。その姿でそんなことが言えるかしら』
 私はふと自分の手を見た。
「ち、ち、ち、血! なんで!」
 いつのまにか私の手はどす黒い血に染まっていた。それだけではなく、いつのまにか私は戦闘スーツを着ていて、身体中返り血と泥で汚れきっていた。肩にはビームライフル銃がかかっていて、これではまるで戦闘直後の兵士そのものだ。気が遠くなりそうで、へなへなと座り込んでしまった。
「いつのまに、こんな…」
 こんなものは脱いで、それからシャワーを浴びたい気持ちにかられたが、いかせん替えの服はなし、この荒野にはシャワーどころか街すらも見えない。疑似界とはいえ、下着姿でうろつく訳にもいかず、この格好で我慢するほかなかった。
「もしかして、これって本物?」
 私は鈍い光を放つライフルを指して言った。
『当然よ。あなたは自分がなんだと思っていたの?』
「私は善良な一般市民で、こんな格好をされるいわれはないんですけど」
『善良ねぇ、ふふっ』
 皮肉に満ちた声とともにあざけるような笑いが聞こえた。
『それは以前のあなた。さっきの戦場跡みたでしょ、あの死体はみんなあなたが殺したものなのよ』
 脳裏に先ほどの凄惨な場面がよみがえってきた。私は人なんか殺してない。殺したいなんて思ったこともないし、殺す理由もない。第一、ヴァーチャルゲームですらろくに出来ない私が、殺されることはあっても殺すことなんて出来るはずもなかった。
「うそよ、こんなのなんかの間違いよ!」
『にわかには信じられないでしょうけど、そのうちわかるわ』

 声の言うことに不満を持ちつつも、これからどうすればいいのか途方にくれてしまったその時、急に背後に殺気を感じた。殺気なんていままで感じたことはなかっただけに、この心が凍りつくような感覚は私をびくつかせるに十分だった。残骸の壁からそっとのぞくと、30メートルほどの距離に筋肉質のがたいのいい男が軍用ナイフをもってゆっくりと近づいていた。あんな恐ろしい表情をしている人を見るのは初めてだ。
「誰なの?」
 男は私の存在を確認するとにやりと笑い、しかし歩調は変えずに進んでくる。私はあわてて物陰に隠れた。
「まさか私を狙っている? どうして?」
『彼にとってあなたは敵だからよ。生き残りたかったら先に殺すことね』
 声は残酷な命令を私に下した。私は耳を疑った。
「どうして私があの人の敵なの?それに殺すなんて、そんなこと出来ない!」
『あなたに敵味方の決定権はないわ。ここは戦場で、命令には従うしかないの』
「でも私、戦ったことなんかないし、あの人ナイフ持っていて強そうだし…」
『どうしても戦わないのなら、あなたは死ぬ。それで終わり』
「いいよ、それでも。どうせここは仮想空間だし、本当に死ぬわけじゃないし」
『仮想空間でも、ここでの経験はあなたにとっての現実なの。死ぬとなれば脳にかなりのダメージを与えることは避けられない。それを覚悟しているのなら、どうぞ勝手に死になさい』
 声は冷たく私を突き放す。そしてさらに、男は確実に私を殺そうと狙ってどんどん近づいてくる。この状況をどうやったら抜け出せるのだろう。
(どうしよう、このままじゃ本当に殺されてしまう。もうこんな所逃げてしまいたい…)
『そうね、最初だからちょっとサービスしてあげましょ』 
 一瞬目の奥で閃光が走った。思考と視界に白っぽいもやがかかる。声の言うサービスとはいったい何だろう、そう考えているうちに私の身体は私の思いとはうらはらに銃を構え始めた。
『殺せ、殺せ、殺してしまえ!』
 今度は不気味な低い声が繰り返し頭の中に響いた。
「やめて、やめて!私にそんなひどい命令をしないで!」
 自分を狙っているとはいえ、相手は私と同じ人間なのだ。しかし身体は命令を拒絶することはなく着実に戦闘態勢に入ったまま、標準を男に合わせている。

 視界のもやが一気に晴れた。男が私に襲いかかってきたと同時に私は引き金を引き、撃った。ビームは音もなく正確に男の額を貫いていた。直撃だった。大きな音を立てて男の身体は地に倒れ、そのまま動かなくなった。
「なんてこと…」
 私はぼうぜんと立ちすくんだ。どうして自分が撃ってしまったのかわからなかった。相手は私を殺そうとしていた、だから生き残る為に敵を殺す他なかった。こんな状況では、これは正当防衛で法に裁かれることはないはずだ。
 心の中で自分のしたことを懸命に正当化しようとしたが、人間を撃ったことには変わりがない。しばらく震えが止まらなかった。
『どう?これが人間を撃つということなのよ。嫌がっていた割には、頭部を1発で当てるじゃない。さすがは潜在戦闘能力A級の適合者ね』
 謎の声が私に与えたサービスとは、本人の意志を無理矢理ねじ曲げて戦闘に適応した精神状態を作り出し、戦闘プログラム通りに体を動かすことだった。
「違うわ。身体が勝手に撃っただけだし、それにライフルの性能が良かっただけで、だからこれは偶然で…」
『確かにあなたの身体に銃の使い方を教えたわ。でも勘違いしないで。狙って撃ったのはあなたの意志よ。初心者は人間を撃つことへの抵抗が大きくて、この最初のハードルがなかなか越せないのだけど、意外にあなたは早かったわね』
 あの男を撃ったのは自分の意志?そんなことが信じられる訳がなかった。さらに追い打ちをかけるように、声は私に命令した。
『最後に、とどめを刺しなさい』
「とどめ?」
『敵は確実に倒す、これがセントラルチームの戦い方なの』
「もうあの人は戦えない。そこまでやる必要はないわ!」
『理由はただひとつ、彼は敵だから。下手に情けをかけて後で痛い目に会うのはあなたよ』
 ただでさえ人を撃ってしまったことに困惑しているのに、息の根を止める行為なんて出来るはずがない。私は謎の声の命令を無視し、持っていたライフル銃をなぐり捨てて、その場から逃げた。
(なんで私が人殺しなんかしなきゃならないのよ。戦闘なんて軍人がやればいいことだわ!)
 そんなことを思いながら逃げるように走った。普通、疑似界での肉体的能力は現実世界のままのはずだが、信じられないくらい身体が軽く感じる。地面を蹴って飛び上がると、ゆうに10m先までジャンプ出来るし、2mくらいの高さの塀なら楽々飛び越せた。
 この身体は軍事用だと科学局の医者が言っていたのを思い出した。それなら私は戦うべき存在なのだろうか。絶対に抜けられない空間を走りながら、頭の片隅で自分がこの世界でなすべきことを認識しはじめていた。


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